寂しい気持ちと侘しい気持ち

どんなに豪華な食事をしていても、それが一人で食べているなら、寂しいと感じるでしょう、
大勢で揃って食べていても、ごはんが茶碗に半分しかないと、寂しいではなく、侘しいとなります。
二つの意味に関する疑問は常にあり、寂しいと侘しいのとでは、意味に違うところがあります。
一方、寂しいは、華がない、自然に、と言う感じで、漢字で書くと、けっして良い概念ではありません。
侘しいのと寂しいのとでは、同じような意味に思いますが、微妙にニュアンスが違うようです。
寒々しい感じがするのが寂しいで、孤独感が強い感じで、ひとりぼっちはつまらないという感じがあります。
禅宗の影響などもあり、侘しいというのは、寂しいと違い、積極的に評価されていて、美意識の中にとりこまれている感じがあります。
この建物は、無駄なものが無くて味があるというと、侘しいになり、この建物は、無駄を省きすぎて華が無いというと、寂しいになります。
寂しいと違って、侘しいはどんな時に表現するかというと、簡素な様子、立派な状態に対する劣った状態、粗末な様子を指します。
比較すると微妙な違いがあるのが、寂しいと侘しいですが、共通しているのは、どちらも残念であるという点です。

寂しいという言葉は、侘しいという言葉と、意味の違いは、観念的には同じといっていいかもしれません。